年中法要の一つ、施餓鬼会(せがきえ)を、8月7日(木)午前10時より執り行いました。今年は、山門施餓鬼・添施餓鬼に続いて初盆供養、鶏魂供養を執り行いました。本堂前の外側には施餓鬼棚をつくり、「三界万霊牌」(さんがいばんれいはい)を置き、水、水の実(きゅうり、なすなどを生のままで細かく刻み、洗米と合わせたもの)、山海の珍味を供えます。
施餓鬼会の起こりは、お釈迦様の弟子で多聞第一と称された阿難尊者(あなんそんじゃ)が、瞑想中に現れた餓鬼に「おまえは三日後に死んで餓鬼になる」と言われ、お釈迦様に助けを求めたところ、「施餓鬼棚に山海の食べ物をお供えし、多くの僧侶と共に施餓鬼会の法要をしなさい。そうすれば、すべての餓鬼に施され、あと3日の命が救われよう」と教えられたという故事に由来しています。つまり、飲食供養(おんじきくよう)の功徳により亡者を救う行事として起こったものですが、この地方では初盆供養として執り行うほか、先祖並びに有縁無縁の万霊に供養する法要となっています。いわば、盂蘭盆会(うらぼんえ)の行事と混同して執り行っているのが現状です。
その盂蘭盆会の起こりは、お釈迦様の弟子で神通第一と称された目連尊者(もくれんそんじゃ)が、その得意の神通で亡くなった母を探すと、餓鬼道に堕ちて喉を嗄らし飢えていました。そこで、水や食べ物を差し出しましたが、ことごとく口に入る直前に炎となって母親の口には入りません。そこでお釈迦様に相談すると、「安居の最後の日にすべての比丘に食べ物を施せば、母親にもその施しの一端が口に入るだろう」と教えられ、その通りに実行すると母親は無事成仏したという故事に由来しています。盂蘭盆とは、サンスクリット語の「ウラバンナ」を音訳したもので、「地獄や餓鬼道に落ちて、逆さづりにされ苦しんでいる」という意味で、つまりは先祖や亡くなった人たちが苦しむことなく、成仏してくれるようにと私たち子孫が報恩の供養をするものです。
いずれにしても、広く、大きな心で、今ある命を感謝する法要、私たちは大いなるものに抱かれあることを確認し、お互いが施しの心を養う大切な行事ともいえます。