ならぬ堪忍するが堪忍

 毎週日曜日は「元禄繚乱」を見るのが務めのようになっています。忠臣蔵の顛末は十分に知っているのについつい見てしまうのですが、この物語には今の私たちにかけている何かがあるのではと思いながら、テレビに見入っている次第です。
 そして、この物語を見るといつも頭に思い浮かぶのが、「堪忍」(かんにん)という言葉なのです。浅野内匠頭が江戸城内松の廊下で刃傷に及んだ顛末、そして吉良上野介義央の浅野内匠頭へのあらゆる態度、どれもが「堪忍」のゆとりがあれば…、と思うのです。
 「堪忍」とは、怒りを押さえて人の過ちを許すことですが、何よりもその心の大きさ、大らかさ、度量をあらわす言葉でしょう。元禄の世は、戦のない平和な時代で、文化面でも華やかな時代だったかもしれませんが、反面人々の心はゆとりのないものだったかもしれません。その点では、現代と相通ずるものがあるのではないでしょうか。
 とかく「キレル」とか「イジイジする」などの言葉が日常のなかで当たり前に使われる今日、心の狭さ、ゆとりのなさは、元禄の世と同じなんでしょうね。だからこそ、「堪忍」という言葉が、今の時代にはよく似合うと思うのでしょう。
 仏教の世界でも「忍辱」(にんにく)という言葉があります。これは、喜怒哀楽にふりまわされている人間が、迷い、不安、苦しみや欲望の世界から逃れる手段として、お釈迦さまが説かれた「六波羅蜜」(ろっぱらみつ)という六つの実践方法のひとつです。ちなみにその六つの方法とは、
@布施(与えましょう、物でも心でも)
A持戒(守りましょう、世の中の決まりを)
B忍辱(耐えましょう、どんなことでも)
C精進(励みましょう、おのが務めに)
D禅定(落ち着きましょう、呼吸をととのえて)
E智慧(かかげましょう、信心の光を)
です。
 で、忍辱とは、ちょっとしたことにすぐカッとせず、我慢する勇気を持つことだそうです。思わずカッとしたときは、まず自分を見失っています。怒りの原因は、すべてが相手にあるとは言い切れないと思いますが、ジッと堪忍して耐え切ったとき、外に向いた目が自然に内なる心を見ることに転じると、お釈迦さまは教えられています。
 堪忍は一生の宝ともいいます。この広い心を持つことを心がけなければと、今週も「元禄繚乱」を見ています。