佛通寺

 佛通寺の創建は、今から約600年の昔、応永4年(1397)にさかのぼる。当時、本郷(現在の広島県豊田郡本郷町)の城主であった小早川春平が、名僧愚中周及(佛徳大通禅師)に帰依して、山陽道沿いの幽邃の勝境である当地を選んで禅刹を営んだのがはじまりとされる。
 開山として迎えられた愚中和尚は、かつて修行時代、中国(元朝)に渡って禅を学び、その法を嗣いだ師匠である金山寺の即休(しっきゅう)和尚(佛通禅師)の徳を慕って、寺名を「佛通寺」と定めた。
 以後、小早川隆景ら歴代の小早川氏の庇護のもと、堂塔伽藍が次々と整い、宗門の勢いも西日本を中心として拡大し、最盛期には末寺3,000ヶ寺、山内の塔頭は約80ヶ寺を数えたという。
 しかし、時代が下って大名が交替すると、対佛通寺政策も弾圧を極めた過酷な時代が続き、やがて末寺も50ヶ寺そこそこに縮小し、ついには明治政府の方針で、京都の天龍寺派下に吸収されてしまった。
 明治38年(1905)、傑僧香川寛量和尚の尽力により、佛通寺は大本山として再び独立を果たし、寛量和尚は初代管長に就任、以来、小派ながらも法灯は歴代管長住職によって受け継がれ、今日なお老杉ゆかしき碧巖古松の参禅道場として、国内はもとより、海外からも数多くの人々が修行や参拝に訪れている。(佛通寺パンフレットより)
 平成9年9月に佛通寺開創600年、開山佛通禅師650年遠忌大法会が盛大に営まれた。
  (広島県三原市高坂町許山22番地)