寺院紹介

 本寺の前身は、現在地から2kmばかり離れた郷路岳(ごうろだけ)中腹にあった石室山松葉庵(しょうようあん)です。当時は天台宗に属していたと思われますが、衰微していたところ天文年間(1532~1555)に丹波国の天寧寺(てんねいじ=現、福知山市大呂)を開いた愚中周及(ぐちゅうしゅうきゅう=仏徳大通禅師)の法孫来翁祖諄和尚(らいおうそじゅんおしょう)が 初世として、禅師の法嗣(はっす)一笑禅慶(いっしょうぜんけい)を開山に勧請(かんじょう)して復興され、天寧寺の末寺として編入されました。一笑禅慶禅師は、佛通寺(ぶっつうじ=広島県三原市)9世を務められました。
その後、3世櫛堂和尚(しつどうおしょう)のとき、檀信徒石田六左衛門が清滝源左衛門や貝田理左衛門らと計って寛文3年(1663)に松葉庵を現在の地に移し、寺号を松禅寺と改めました。開創記念の梵鐘(昭和17年に軍に徴用された)には、寛文3年11月とあったそうですが、由緒は創立を同4年2月としています。
 
本尊は延命地蔵菩薩立像で、作者は恵心僧都(えしんそうず=平安時代の天台宗の高僧)と伝えられていますが、定かではありません。 

 寛永12年(1635)、天寧寺が正法山妙心寺(京都市右京区花園妙心寺町)の直末となりましたが、松禅寺は明治30年12月に編入されています。元の寺名は、佐田字ソウヅガイにあった観音堂が文化6年(1809)に大谷山松葉庵として末庵に入ることで受け継がれました。久畑字宮の下の如幻庵も末庵でした 。

臨済宗妙心寺派 石室山(せきしつざん)松禪寺(しょうぜんじ)
兵庫県豊岡市但東町栗尾