薬師祭2014年〜満州開拓団の紙芝居上演〜

 健康長寿・無病息災などを祈願する「薬師祭」を7月13日(日)、松禪寺を会場に栗尾ふるさと委員会「ふるさと135(会長・西垣勝美さん)が催しました。当日は朝から断続的に雨が降りましたが、祭を始める午後からは雨も上がり、地域内外から約80名が訪れました。
 午前11時の写経にはじまり、ふるさと委員長・西垣勝美さん、栗尾区長・兼井正美さん、来賓・福田嗣久さんの挨拶などをいただきました。午後1時半から薬師堂で法要を行い「オン、コロコロ、センダリ、マトウギ、ソワカ」と皆さんで唱え、「福慧増長し心身安楽にして、諸縁吉祥ならんことを」と祈願いたしました。この間、境内ではペッタンペッタンと威勢良くふるまい餅の餅つきが行われました。
 午後2時半、全員で戦災殉難者を弔うために般若心経を唱え、先の大戦で満州に渡り悲劇に遭う開拓団の紙芝居を上演しました。この紙芝居「国策に散った満州開拓団の夢」は、「高橋村・満州開拓団の歴史を語り継ぐ会」が、開拓団として家族と一緒に満州に渡った石坪馨さんの手記をもとに制作したものです。第13次大兵庫開拓団を組織するという県内への呼びかけに、あらゆる地域が組織できないというなか、最後に残った高橋村は半ば強制的に人選され開拓団が組織化されました。昭和19年、開拓団は満州に渡り農作業に励みますが、昭和20年8月にソ連が宣戦布告するなか、開拓団員は召集されないという当初の約束もむなしく、男性が次々と戦地に送り込まれ、開拓団には女性と子ども、お年寄りが残るばかりとなりました。開拓団に引き揚げの命令が下され、最小限の荷物を持って蘭西県城へ移動するも、この県城も結局出されることになり、江上軍(日本の軍隊に召集されていた中国人の部隊)などに追われ、あるいは地元民に助けられながら村を転々としますが、結局入水自決し亡くなりました。紙芝居上演の後、石坪馨さんが話されましたが、「入水自決の場面は今でも忘れられない。書こうとしても書けないのです。」と涙ながらに話されました。石坪さんら5人の少年(当時16、17歳)は、何としても生きて帰り、報告してくれという命令を泣く泣く聞き入れたそうです。しかし、あまりにも惨い出来事にしばらくは話すこともなかったそうです。ただ、「伝えてくれ」という義務を果てしていないと手記に託されたのです。石坪さんは、「こんな悲惨なことが二度と起こらないようにしてほしい」と、最後に訴えられました。
 妙心寺派では、永久平和のための啓発活動を展開しています。戦争は、多くの民間人をも巻き込む最大の人権侵害といえます。暴力に訴えない世の中を築くことを、聴衆一同願はずにはいられない紙芝居でした。